ペルシャ絨毯と万博

手織り絨毯

宮廷絨毯の庇護者サファヴィー朝が1722年のアフガン人の侵攻により壊滅的な打撃を受け滅びるとイスファハンをはじめ都市の絨毯工房は殆どが閉鎖され遊牧民と家庭の絨毯のみが作られる時代が長く続く事となりました。

                                                                     ロンドン万博会場 クリスタルパレス

サファヴィー朝由来のペルシャ絨毯がカジャール朝1851年にロンドン万博に出品されたのをきっかけにロンドンの上流階級の中で芸術品として認識される様に成ります。その後もカジャール朝は1867年のパリ万博1873年のウイーン万博1878年のパリ万博と積極的に出展を重ね強いインパクトを欧州に与える事となりフランスやイギリスの上流階級のみならず中流階級にまで広がりを見せる様になり、ヨーロッパでペルシャ絨毯の一大ブームが巻き起こります。1880年代にはアーツ&クラフツの波も高くなりペルシャ中の手織り絨毯が、タブリーズに集められヨーロッパへの窓口イスタンブールを通じて欧州へ運ばれたと言われた程です。供給の乏しいペルシャ絨毯事情下、欧米の需要に応えるべく1980年代から1910年に掛けて英国・独国・米国などの企業が挙ってペルシャ(タブリーズ、ハマダン、ケルマン、スルタナバード、ヤズドなど)に工場・工房を設立し、欧米好みのデザイン・サイズで製造し輸出する様に成ります。それに刺激を受けたタブリーズの商人達も各地で絨毯製作に乗り出し一気に都市のペルシャ絨毯の復興がなされて行きました。

 

                                                                                  Ziegler Mahal around 1900 360 x 280

                  Sultanabad Ziegler 1890, wool on cotton, 306 x 267

 

此の時期欧米の外資系企業がペルシャに設立した工房・工場の中で最も有名なのが、スルタナバード1883年設立のスイス系英国マンチェスターのジーグラー商会(~1930後半)です。ジーグラーの名はカザック同様デザインを表す名に変化し現在もアフガニスタン・パキスタン製ジーグラーとしてこんにちも使われています。

 

             ziegler afganistan

タブリーズに1900年初頭設立のアルメニア系英国企業ベンリアン社(~1930後半)や1910年設立のドイツ系ぺタグ社(~1940前半)も作品の評価が高くアンティークの世界で名を残しています。

               Tabriz Petag 1910年代 wool on cotton 346 x 242

              PETAG 1920年代 336 x 243

               八角星のカルトゥーシュ benlian tabriz

 

 

1907年設立の英・米・独合同企業体O.Ⅽ.Ⅿ(oriental carpet manufactures)(~1940半ば)は文字通りトルコ・ペルシャにて20世紀前半世界最大の絨毯工場・輸出会社として欧米市場を席巻しました。

             Kirman Carpet Safavid Kirman-Vase Design Signed Oriental Carpet Manufactory 1900年代  460 x 333

                    Kerman(OCM) signed around 1910 wool on cotton   580 x 260 cm

 

これらの外資系絨毯工場は第二次世界大戦(1939~1945)や世界恐慌(1929)などの影響を受けて1930年~1940年代迄に閉鎖されますが、これら欧米系企業の大きな力と欧米の人々の大きな需要がペルシャ絨毯の劇的な復興をもたらしました。工場制大量生産の導入による労働環境や絨毯の品質低下(化学染料や織り)など一部負の結果も生じますが、タブリーズ商人とタッグを組んだ欧米企業の力が働かなければこれほど急速な復興はあり得ませんでした。
外資系企業の撤退後には国営絨毯会社の下地となったりペルシャ民営工房の自立を促したりし今日に繫がります。
最も欧米の人々にペルシャ絨毯の魅力を強く植え付けたカジャール朝の万国博覧会への積極的な出展がなければ起こらなかった奇跡の復興です。

 


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