かつてのペルシャ一帯の遊牧民は我々が遊牧民(羊飼い)に対して抱いている牧歌的なイメージとはかけ離れて居り、貿易の一端を担って富を得たり、軍事力を持ち他勢力と戦争を行い政治にも参加して利権を争う程の一大勢力で有りました。そんな遊牧民の部族長ハーン級の要人の為に作られたり、貢ぎ物として特別仕様で作られた貴重な絨毯が残っています。ハーンの絨毯は儀礼・外交・献上品として、 部族の威信を示す為に織られた最高品質の部族絨毯です。
代表的なペルシャの遊牧民としてはバフティアリ族・カシュガイ族・ハムセ連合・トゥルクメン族・バローチ族・シャーサヴァン族などが挙げられますが、特にバフティアリやカシュガイなど大部族のハーンの絨毯には宮廷絨毯級の物も存在します。
- バフティアリ
イランの西、ザクロス山脈を中心に暮らすバフティアリ族は石油の利権を持つ程の裕福な部族でハーンの宮殿や大テントにはそれなりの立派な絨毯が敷かれました。19世紀半ば以降「ハーン」と呼ばれるバフティアリ族の族長たちは、発注者である自身の名前とすべての尊称を織り込んだ銘文入りの絨毯を特注して作らせました。まるで自分で自分の銅像を建てる様ですが、、、、、?

バフティアリ・ハーン絨毯 <ビド・マジュヌン>
此のバフティアリ族のシダレヤナギのモチーフ絨毯のフィールドには、糸杉、ポプラ、花の木などの樹木がリピートして描かれています。バフティアリの得意とするへシティ・デザイン(パネルデザイン)始め樹木系紋様は遠く離れたイランの北東ホラサーン地方より伝播したと考えられています。


このバフティアリ・ハーンの絨毯の連続した菱形の庭園文様の周囲を囲むボーダーの上部カルトゥ―シュに織り込まれた銘文は 「ファルマーヤシュ・エ・ハズラト・エ・アシュラフ、アガーイェ・スルタン・モハンマド・ハーン・サルダール・アシュジャー。アマル・エ・バフティアリ」 とあり、 「高貴なる御方、スルタン・モハンマド・ハーン・サルダール・アシュジャー(最も勇敢な武将)による注文品、バフティアリの作」 と有る。

このハーン絨毯は、シャラムザール周辺で織られたもので、ボーダー上部中央に銘文「1314年(ヒジュラ暦)、モルテザ・クリ・ハーン・バフティアリの注文によるもの(Farmayesh Aqa-e Morteza Quli Khan Bakhtiari, 1314)」と織り込まれています。

バフティアリ・ハーンの絨毯

銘文は上部横方向のボーダー中央の長方形のカルトゥーシュ(額枠)の中に書かれています。
「Hasab al amr farmayesh Aghaye Ali Akbar Khan amale Bakhtiari.」 アリー・アクバル・ハーンの命により、バフティアリの作。

バフティアリ ケッレ 1902年
黄金色のフィールドを持つ「ビド・マジュヌン(bid majnun)」の絨毯。
鮮やかな青色のメインボーダー(外枠)には、銘文が織り込まれたカルトゥーシュがあしらわれています。
「モイン・ホマユーン閣下の御注文、バフティアリの作、1219年(Farmayesche Djenabe Mo’in Homayoun, Amale Bakhtiari, Sanneh 1219)」と記されています。
- カシュガイ
イラン南西部のファールス地方を拠点とするカシュガイ部族連合のカシュクリ族がハーンの為に作った(カシュガイ・ハーンラグ)は、細かい織りで上質の艶やかなウールパイルやシルクを使った格別の絨毯です。
カシュガイ連合の中でも絨毯織りの名手と言われるカシュクリ族の名は現代ギャッベの細かい織りを現わす名称として使われています。

kashukli
この絨毯は 素材や質・織から見て絨毯織り名手のカシュクリ(Kashkuli)族によるハーンへの納入品と思われます。

カシュクリ ケッレ
カシュクリ族によって、部族の指導者(ハーン)の為に作られたこの絨毯はシルクの緯糸に細い上質のウールパイルが結ばれた格別に緻密な織りと成っています。濃紺のフィールドは、ビッシリとヘラティ(Herati)模様のリピートで埋め尽くされ、赤褐色のメインボーダーは、パルメットやロゼット紋様、蔓草紋で装飾されています。基本ホラサーンのデザインですがモチーフや織りなど随所にカシュクリらしさが溢れています。

カシュクリ ケッレ 19世紀前半
こちらもカシュガイ部族連合のハーンによる注文品ですが、カシュクリ(Kashkuli)族によって緯糸シルクの緻密な織りで作られた絨毯です。フィールド花紋様の入る縦縞(ストライプデザイン)は、クルディスタン地方に由来します。

お使い下さい‼手織り絨毯
フロムギャッベ
