シルクロードと言うと中国から西へローマを目指して絹を運ぶ為の道の様ですが、15世紀の大航海時代前はユーラシア大陸の東西を結ぶ人・物・文化全ての幹線道路でした。
そんなシルクロードと重なり合う様に続くカーペットロード(絨毯の路)と言えるような道が有ります。中国西域からブハラを抜けて更に西へ進んだホラサーン地方と呼ばれるヘラートからマシャド・グーチャンを通りカスピ海の南側をテヘラン・カズビンと抜けてペルシャ絨毯産地が犇めく東アゼルバイジャン地方のザンジャン・ビジャー・タブリーズからトルコへと続く道です。この道沿いの町や南北左右の地域には大小の絨毯作りの村や町が有りかつては道沿いの集積地の町から駱駝や馬に拠って西へ東へと運ばれていった事と思います。ウイグル族・トゥルクメン族・アフガン・バローチ・ペルシャン・クルディ・アゼリー・アルメニアンと多民族の特徴ある絨毯が行き交ったと思うとワクワクします。
《 ウイグルのホータンを出発してブハラの街並みやマーケットを見学、ヘラートからホラーサーン街道を通ってマシャドでバローチの絨毯を見て、グーチャンでクルディの絨毯やキリムを見て、ホジュノールトでトゥルクメン族のデュロ絨毯作りを見学してからカスピ海に寄り道して、テヘランのバザールで買い物の後アゼルバイジャン地方に進んでザンジャンやビジャー・タブリーズで絨毯織りを見て最終地はイスタンブールかカイセリで 》
みたいなスケジュールの紀行番組を是非作って貰いたいものです!
*2005年NHKスペシャル番組で新シルクロード 【中国 Khotan 絨毯を編む女性たち】と言う放送が有りました。
nhk.or.jp/das/movie/D0002160/D0002160361_00000_V_000.mp4
*かつてカシュガルやホータンで作られたウイグル族の絨毯やトゥルクメン族の絨毯などがブハラやサマルカンドに集められて各地へ売られて行きました。
*ヘラートやマシャドではバローチ族・トゥルクメンの絨毯を始め民族色の強い絨毯が沢山見られます。
*グーチャンはかつてウズベクの侵入に備えてペルシャの西から移住してきたクルド人が住む山間部の町です。ホラーサーン地域の柔らかいウールとクルドの確かな絨毯織り技術で作られた素晴らしい絨毯が織られています。ギュウギュウに詰まったウールは切り立ってほこりや水が侵入し難くてとても丈夫です。
*北ホラーサーンのトルクメ二スタンとイランの国境に近いイラン側に位置するボジュノールトは多様な民族や文化が共存する町です。クルディなどの飾りキリムやトゥルクメン族のデュロ絨毯などが作られています。
デュロ絨毯とは、両面絨毯の事です。2人の織り子さんが同時に表と裏からシルクパイルを結びつけながら織るリバーシブル絨毯の事です。かつてクムシルクの絨毯で両面花模様の物が有りましたが、とても時間を要するのであまり作られていないと思います。そんなデュロ絨毯を此処ホジュノールトのトゥルクメン族が今も織っているとの事です。
*カスピ海沿岸地域は上質なシルクの生産地です。かつてはペルシャから欧州へ現在の金や石油の様に扱われた稼ぎ頭の輸出品でした。クムのシルク絨毯の原料もこのカスピ海沿岸の上質なシルクです。
*イラン東アゼルバイジャン州の名産地タブリーズの定番のマヒ(小魚)デザインをヘラティ模様とも呼びますが、この絨毯街道の東のホラーサーンのヘラート市(現在はアフガニスタン)の地名由来と言われています。ヘラティ模様もかつてこの絨毯街道を通ってヘラートから1854km離れたタブリーズ迄移動したのかも知れませんね。
お使い下さい!!手織り絨毯
フロムギャッベ
*シルクロードは紀元前2世紀に西へ拡大して更なる発展を目論む漢王朝が整備を始めたプロジェクトですが、大航海時代以前に道中にある西アジア・中央アジアの国々のに与えた影響も多大でした。絨毯・香辛料・馬や駱駝、そして奴隷までもが、隊商を組んでシルクロードを進むことに成ります。又、東西への領土拡大の道でもありました。
*カシュガル1200・ヘラート922・マシャド995・グーチャン1300・ホジュノールト1200・テヘラン1204・ザンジャン1638・タブリーズ1362・カイセリ1055 標高 mです。
追伸*本日11月12日Yahooニュースを見ていたら大英博物館でシルクロードがテーマの特別展示をしているようで面白そうです。(~2025年2月23日まで・入場無料)
シルク・ウズベキスタンのサマルカンド・ソグド人・戦争・奴隷市場に付いてなどなど、、、シルクロードのローマへ絹を運んだという表の顔だけではなく闇の部分に付いても展示されているとの事です。