戦渦のトゥルクメン絨毯

手織り絨毯

絨毯は平和の産物ですのでひとたび戦争になれば買う方も作る方も絨毯どころでは有りません。戦争までならずとも政治的な要因で住処を追われ否応なしに別の場所で絨毯織りをする事に成ることもよくある事です。ペルシャや中央アジアだけでも先月のイラン対イスラエル米国戦争は勿論、古くはモンゴルの侵攻、18世紀アフガン人のペルシャ侵攻、19世紀ロシア帝国の黒海・カスピ海周辺への南下政策、20世紀ソ連のアフガン侵攻などなど‥絨毯作りは大きな影響を受けました。又、ペルシャでは軍事活動に加えて政治的な意図で集団移住を強いられました。サファビー朝時代にはアルメニア人ペルシャ・リリアンへの移住や軍事的政策によるアフシャル族のアゼルバイジャン地方やフーゼスタンなどへ、アフシャル朝の滅亡後のケルマンへの強制移住、そしてペルシャクルド族のトゥルクマンの侵入に対する防衛の為にイランの東のグーチャン・ホラサーンへの集団移住なども絨毯作りにとって大きな出来事でした。先のイランのイスラエル米国との戦争でマシャドなどイランの東に多く住むアフガン人がスパイ活動の疑いが有るとの事でイランから追放されていると言う事を聞きました。イランの東の地域では絨毯作りにおいて随分とアフガン人が活躍していたと聞いていましたので絨毯作りにも影響が出て来るのではないでしょうか?”手に職”と言いますが移住先でも又、絨毯作りをするのかと想い巡らします。この対イスラエル米国戦後、ペルシャ絨毯が益々減産・高騰してしまうのは必至と皆頭を悩ますところです。

来週までトゥルクメンの絨毯フェアを致しますが、旧ソ連のアフガン侵攻の為1980年代に移住先のパキスタンで織られた異色のトゥルクメンです。ペルシャ絨毯トゥルクメンとは一味違うテイストです。

19世紀後半にロシア帝国の南下政策で現在のアフガニスタン辺りに逃げたトゥルクメンの人々が、更に数世代100年程の時を経て今度は旧ソ連のアフガニスタン侵攻でパキスタンに逃れたトゥルクメン系のアフガニスタン人によるメイドインパキスタンの戦渦のトゥルクメン絨毯です。是非ご覧ください。

 

ポシティ    ¥39,600
ザロチャラク  ¥88,000

トゥルクメン絨毯 バシリーデザイン79✕123cm  | フロムギャッベ

お使い下さい!!せたpey

お使いください!!手織り絨毯
フロムギャッベ

*トルクメニスタン国の絨毯=トゥルクメン絨毯では有りません。かつて草原の海賊と言われた遊牧民トゥルクメンの人々は1991年頃に旧ソ連から独立したトルクメニスタン国に現在も多くが暮らしていますが、元々国境の概念が無い時代よりこの地域を遊牧生活をしながら絨毯を織っていました。現在は国境が敷かれてイランやアフガスタンなどの周辺国となった国でもトゥルクメン絨毯は作られています。1991年のトルクメニスタン国の独立以前はイラン製・ソ連製・アフガニスタン製のトゥルクメン絨毯という事でありました。

 

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