ペルシャの歴史①アケメネス朝ペルシャ (紀元前550~330年) 

手織り絨毯

<ペルシャの歴史はとても古い>とか(手織り絨毯の話)ブログで書いているのでペルシャの歴史を少し勉強してみようかと思いましたが、ペルシャを含めてこの地続きの西アジアから中央アジアにかけての一帯はとても歴史も古く隣国との関わりも複雑で簡単には太刀打ちできないことが判りました。エラム王国・メディア王国・インダス文明・アレキサンダー大王・アッシリア・ヘレニズム・バビロニア・メソポタミア・小アジアなど高校生の頃に世界史で聞いた事が或るけれど詳しく判らない単語だらけで島国日本とは全然違う複雑な成り立ちを持っています。簡単に紀元前6世紀の最初の統一王朝アケメネス朝ペルシャの成り立ちだけ搔い摘んでまとめてみます。


アッシリア帝国の崩壊(紀元前612年)以来、メディア王国から支配を受けていたペルシャ湾に面したペールス地方(現在のファールス地方)のキュロス率いるイラン人の一支族が紀元前6世紀半ばに独立してイラン高原一帯を領土とするアケメネス朝ペルシャを開きオリエント全域を支配する大帝国にまでなりました。
紀元前5世紀の全盛期にはエーゲ海のギリシャのイオニア地方の植民都市によるペルシャに対する反乱を口実に都市国家ギリシャ(アテナイ)まで遠征し50年間に3~4度に渡る(ギリシャ・ペルシャ戦争)が繰り広げられました。ダレイオス一世の死後王座に就いてバビロン・エジプトを平定したアケメネス朝第4代王のクセルクセス1世のギリシャ遠征はスパルタのレオニダス1世との紀元前480年のテルモプュライの戦いで有名です。この戦いに勝利したクセルクセス1世はアテナイを一時的に占領しますが、これが最も古代ペルシャが都市国家ギリシャのアテナイを追い詰めた瞬間でした。
この戦いを取り上げた米ハリウッドのスリーハンドレッドと言う面白い映画が有りました。スパルタを300の兵と共に出発したレオニダス王が途中1200の兵の応援を得て総勢20万のペルシャの大軍をテルモプュライで待ち受けて3日間釘付けにした文字通りの死闘を描いたものでした。映画(エンターテイメント)ですのでレオニダスは侵略者から祖国を守る英雄にクセルクセスは妖気漂う悪者に描かれていますが、機会が有りましたらご覧ください。

大体この頃のペルシャの歴史は全て古代ギリシャの歴史家ヘロドトスが書き記した「ヒストリエ」と言う名の歴史書に頼っています。ペルシャと言う呼び方もギリシャ側からの呼び名の様です。ペルシャ側では自分達の国をアーリア人の(aryan)からイランと呼んでいたとする有力説が有ります。
古代オリエントから南ヨーロッパ・アフリカの北部迄その支配地域を拡大したアケメネス朝でしたが、その後マケドニアのアレクサンダー大王による東征軍がチグリス川を越えてダレイオス3世率いるペルシャ軍を破りバビロン・スサ(現在のハマダン)・ペルセポリスを次々落として遂にアケメネス朝は紀元前330年に滅亡してヘレ二ズム時代へとなっていきます。

現存する最古の手織り絨毯「パジリク遺跡のカーペット」が紀元前4~5世紀辺りの物とされて居りますのでアケメネス朝ペルシャの時代に重なります。このような時代に既に立派な手織り絨毯が作られていたのですね。

アケメネス朝の都ペルセポリスは現在のイランのファールス地方のギャッベの集積地であるザクロス山脈の麓の町シラーズです。

お使い下さい!!手織り絨毯
フロムギャッベ

 

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