ペルシャ絨毯の「伝説の工房」

手織り絨毯
アブドゥル・モハンマド・アム・オグリ―のサイン

ペルシャ絨毯の産地はサファビー朝以来ここ三~~五百年の間にも沢山の産地の興亡が有ったと思われますが、現存する有名産地には「伝説の」又は「伝説入りするような」工房がある様です。

ここ半世紀余りにもイスファハンのセイラフィアン工房やハギギ、ナインのハビビアン、クムのラジャビアン工房やマスミ・エラミ・バーラミなど評価も実力も素晴らしい工房が名を馳せていますが、そのような工房の中からもあと50年、100年と時を経て作品がアンティーク入りして伝説の工房と成ったりするのでしょう。

ひと昔前19世紀後半から20世紀頭にかけてペルシャ絨毯の復興期に圧倒的に高品質の絨毯を送り出して既に伝説となっている幾つかの絨毯工房が有ります。


タブリーズのハージ・ジャリリ工房 Haⅾj Jalili

 

ハジジャリリ 楽園ガーデンオブパラダイス 19世紀

絨毯師という言葉が,相応しいハージ・ジャリリは、19世紀後半のタブリーズ絨毯の復活の要でした。マランド出身のハージ・ジャリリの詳細な記録は残っていませんが、ヨーロッパの芸術やペルシャの伝統・哲学に精通していたようで東洋と西洋の融合を持って新しいタブリーズを作り上げたようです。現在では考えられない高密度のシルク絨毯や独特の落ち着いた色彩感覚と複雑なデザインを作り上げ第一次世界大戦(1914~)まで数々の作品を輩出しタブリーズの復興黄金期に貢献致しました。
19世紀後半の数十年間の傑作はアンティーク絨毯市場で現在高額で取引されています。


②カシャンのモフタシャム工房

モフタシャム シルク   ソウフ浮き織り

 

Kashan Mohtascham around 1900, wool on cotton 207 x 136

Kashan Mohtascham silk  around 1900 pure natural silk    

 

Kashan Mohtascham late 19th wool on cotton

ハッジ・モッラー・モハンマド・ハッサン・モフタシャムの高品質絨毯はコレクターのみならず美術館入りする程の人気が有ります。モフタシャム・カシャンは19世紀末から20世紀の初頭の高品質カシャン絨毯の代名詞です。絨毯へのモフタシャムスピリットはその後もアテショグローなどの継承者に引き継がれて行きました。

Kashan Ateschoglou around 1900, corkwool on cotton 196 x140

Kashan Ateshoglou around 1900, corkwool on cotton 207 x 133

Kashan Ateschoglou  wool  on cotton around 1900


③マシュハドのアム・オグリー(amu・aghli)工房

ペルシャの東アゼルバイジャン州オスク郡は古くから絹織物の中心地で有りました。其の地出身の絹織物商人のムハンマド・カナムイエが19世紀の後期に東のホラサーン地方のマシャド(マシュハド)へ移住して活躍しマシャドのアゼリーの中でも尊敬の念を込めてアム・オグリー(amu・aghli)と呼ばれるようになります。彼は絨毯工房を設立しその後二人の息子アブドゥル・モハンマド(~1937没)と弟のアリー・ハーン(~1957没)となずけ親のムサを加え1900年代初頭から1947年まで運営され20世紀最高の呼び声高い絨毯工房へ成長します。アム・オグリー兄弟はサファビー朝時代の優れた絨毯の残っているイギリスに渡り絨毯を研究・追求し、ケルマン出身の天才絨毯デザイナーのアブドゥル・ハミド・サナート・ネガルに新時代のデザインを依頼し絨毯界に新しい息吹を吹き込みました。その後、マシャドの裕福な商人達からのオーダーで絨毯を製作する程の人気を得るようになり、更にレザー・シャー・パフラヴィー国王の宮殿やイマームレザー霊廟へ作品を納める事になります。

1947年にアム・オグリー工房は閉じられますが1950年代になると孫のチャンギズ・アム・オグリーやアム・オグリー工房の織職人アッバスゴリ・セイバー(1911~1977年)らによって引き継がれる事となります。

*アム・オグリーとはbig cousinの意味



お使い下さい!!手織り絨毯
フロムギャッベ

 

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