トルコ絨毯に付いている鉛玉

手織り絨毯

Turkey ozipek

 

 

Hereke silk   ozipek

 

 

 

 

 

 

1978年ヒット曲”飛んでイスタンブール”の影響でしょうか?
20世紀の後半に親日国トルコに観光や仕事で多くの日本人が飛んで沢山トルコ絨毯を持ち帰りました。

あれから30~40年、、、時が経ち、お父様の形見としてクリーニングをとか、子供さんが価値を知りたい、処分したいとかの話を昨今良く聞きます。
其の頃のトルコ絨毯のキリムエンドの端の部分には直径1㎝程の円盤状の鉛玉(太鼓状)が括り付けられていることが良くありました。此の玉は正式にトルコ産手織り絨毯である事をトルコの政府や絨毯組合が認証するもので間違いなくオリジナルの鉛玉が付いていれば本物のトルコ製と思います。

 

 

32×46㎝ Hereke

 


しかし鉛玉が付いていないシルク絨毯であれば中国製のヘレケやカイセリのデザイン絨毯である可能性がありま
す。

先日拝見したシルクのポシティも5枚の内3枚はChineseトルコデザイン絨毯でした。1枚はChineseペルシャデザイン絨毯でした。残りの1枚だけが、ペルシャ絨毯でした。

 

ヨーロッパでは堂々とchinese何某絨毯として売られています。我々は裏側から縁の部分を見たりしながらchineseか否かを判断したりしていますが、さて日本ではどうなのでしょうか? 日本人にはChineseヘレケやカイセリでは受け入れて貰うのが一寸難しそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

お使い下さい!!手織り絨毯
フロムギャッベ

*イスタンブールは古くから西洋から見た東洋の入り口でした。19世紀末にヨーロッパで手織り絨毯の需要が高まるとペルシャ絨毯もタブリーズ商人によってイラン国中から集められてイスタンブールに運ばれて英や独のバイヤーによって根こそぎヨーロッパへ持って行かれた様です。その為1900年前後のアンティークペルシャ絨毯は現在殆どイランに残っておらずイランの絨毯商人がイギリスやドイツ、オーストリアなどでペルシャのアンティーク品を買い戻している状況です。
*トルコ絨毯のozipekは1950年代にカイセリで創業しその後ヘレケへ移転した織りの細かさで有名な工房。
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