手織り絨毯とは
紀元前何千年もの国境も無い太古の昔に西アジア・中央アジアで放牧をしながら生活をしていた人々が、(床代わり・布団代わり)に適した道具として発明した敷物です。
元来遊牧の人々は獣毛(主に羊であったが、時に山羊や駱駝も使用された)より糸を紡ぎ平織(トルコのキリムやイランのギリムという呼び名が有名)の丈夫な布をカーテン・敷物・穀物入れの袋などにする為に織って居りましたがいつしかこの平織りの縦糸(経糸)にパイルを結び付け横糸(緯糸)で強く挟んで平織りの垂直方向に芝生の様に厚みを持たせてクッション性と防寒性を備えた敷物を発明しました。意図的に発明されたのか悪戯の延長の様に偶然の産物なのかは判りませんがその後何千年もの間作り続けられている素晴らしい技術である事は間違い有りません。鉄の櫛の様な道具を使って横糸(緯糸)を強く叩き平織地にパイルをしっかりと締め付けて行く事が機械織りには無い堅牢さもたらします。
手織り絨毯を作るのは
非常に時間の掛かる手仕事です。羊の毛を刈り取って糸を紡ぐ事から始まって織機に縦糸を張り込み、糸を染めて長い時間をかけてパイル結びを行いながら織り終わると2~3回は水洗いをしたり表面を平らに刈り込んだり火で焙ったり仕上げを施します。(手織り絨毯は結び半分,洗い半分なんて言います。その位洗いが大切ですと言う事です。)若い女性の織り手ばかりが、クローズアップされますが、老若男女家族総出の結晶です。
手織り絨毯の材料・質
本来手織り絨毯は縦糸も横糸もそして結び付けるパイルも獣毛・ウールでしたが、今日では綿やシルクも多く使われて居ります。絨毯素材としては従来の丈夫で難燃性の高いウールが最適なのですが、中国の絹がシルクロードを通じて各地に伝わると王様の指示なども有りシルク製絨毯も作られるようになりました。今日では絨毯本来の縦糸・横糸がウール・ウールのものから綿・ウール、シルク・ウール、シルク・シルク、綿・ウールシルクなど産地によって種々様々で産地の特徴となっています。細密に織られ芸術的なシルクの絨毯は素足で使う日本ではとても人気がありますが、土足で使うことの多い欧米ではシルク・シルクの高級絨毯は耐久性不足です。
絨毯の質を表すのに良くノット数(結び数)を使います。ギャッベなど太いウールの糸で織ったものは1cm角に3列3段の9結び程から5列5段の25結び程が通常ですし、定住者の織る所謂ウールのペルシャ絨毯などは5列5段の25結びから8列8段の64結び程度(もちろん更に細かい100ノット以上のウール製の高級品も有ります。)が普通ですが、シルク・シルクのコムなどの高級絨毯ですと通常最低8列8段の64結びから11列11段の121程の結びになりますし、細密なものは更にノット数が多くなります。絨毯の価格はその国の物価と人件費に大方比例致しますのでこの結び数の大小に拠って大きな価格差が生まれます。一般の方に手織り絨毯の価格を判らなくしている原因の一つかもしれません。手織り絨毯は裏から見るとその結び数が一目瞭然ですので絨毯を値踏みする時は表裏をしっかりと観察します。最もギャッベや遊牧民系の素朴な絨毯はあまりノット数など気にせず表から見た印象が一番大事です。要は絨毯と自分の相性です。
手織り絨毯の歴史と地域
南シベリアのパジリク遺跡より見つかった2千3百年~2千5百年前の製作と言われる現存する最古の手織り絨毯パジリクカーペットのレベルがかなり高いものであるのには驚かされます。手織り絨毯の誕生時期は4千年前とか諸説あるようで明確では有りませんがパジリクを遡って更に千年千五百年は有るようです。先の平織り(キリム・ギリム)の誕生は更に千年以上遡るのでしょう。
要するに手織り絨毯は平織り(キリム・ギリム)の年の離れた弟の様な存在になります。遊牧民の絨毯技術を学んだ定住者の人々が美術品の域にまで作り上げたいわゆるペルシャ絨毯やヘレケ絨毯などは手織り絨毯の長い歴史の中では更に小さな弟・妹のようなものと言えますね。
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西アジア・中央アジアの羊飼いの人々が発明して東に西に技術が広まり中国西域・モンゴルからパキスタン・インド・チベット・ネパール・ロシア・アゼルバイジャン・アフガニスタン・トルクメニスタン・イラン・トルコなどその他北アフリカ(モロッコ・チュニジア)迄今日では多少の織り方の違いはあれど広い地域で織られています。気の遠くなるような手織り絨毯の長い歴史と浪漫を感じます。
今日の手織り絨毯を大別すると
①絨毯の起源を感じる遊牧民系の絨毯②イスラムの定住の人々が技術を学び王様や大商人などの意向を受けて、又隣国の影響を受けたり工夫したりして進化して行った美術品の様なペルシャ絨毯・ヘレケ絨毯など。③仏教圏の影響を受けた中国段通やネパールへのチベット難民が織るチベタン段通が元のネパール絨毯など段通系の3グループに分かれます。
①は元々羊飼いの人々が自分たちが使うために作っていたもので設計図も無く自由に織られているのが特徴です。良く言えば素朴で絨毯の原始の風合いと技法を残していると言えますし、悪く言えばあまり進化しなかった絨毯です。
②は王様や大商人の庇護や意向を受けて美術品の域にまで発展して行った絨毯です。
③はその後デザイン・手法が中華ナイズされた絨毯です。勿論この3グループからはみ出すものや2つのグループの境界線上に位置するものもありますが、
独断の下、判り易く大別すると以上の様になります。
近年の日本での手織り絨毯事情
①の遊牧民系の絨毯と言えば近年イランのザクロス山脈(果実ザクロの語源になった)の羊飼いの人々にルーツを持つギャッベと呼ばれる絨毯が世界中で大人気です。日本でも以前はかわいいデザインで肉厚の絨毯とは感じてもその素性まで知る人は少なかったのですが、2012年にその手織り絨毯技術がユネスコ無形文化遺産に登録されてテレビでドキュメンタリー番組が放映されたりその他番組や雑誌などマスコミに取り上げられると日本でも注目されてとてもポピュラーなものとなりました。ギャッベ絨毯は1980年代に既に日本に入って来て居りましたが、まだまだ今日の様な人気を得るものではありませんでした。1970年代迄ギャッベ自体は販売目的では無く自分達の生活の必需品として作り続けてこられた物ですので、あまり進化の必要が無かったので図面もなく作り方もデザインもかつての素朴なものが多く残っており、現代の人々を魅了する力になっています。
ザクロス山脈の遊牧民最大勢力のカシュガイのギャッベの他にもバクティアリ族・ヤラメーの絨毯や国境線を引かれ現在ではイラン・アフガニスタン・パキスタンなどに跨って暮らすバルーチ族の人々の絨毯、又モロッコのベニワレン族など部族の独特の風合いを持つ絨毯が人気になりつつ有ります。
勿論②の定住者による美術品の域にまで達したヘレケ絨毯やペルシャの5大産地と言われる都市(タブリーズ・コム・イスファハン・ナイン・カシャン)で織られる高級手織り絨毯も少なからず世界のVIPや愛好家に愛され続けて居ります。
*手織り絨毯は少なくとも20年以上長くは50年以上もの期間生活を共にするものです。急ぐ事は御座いませんので是非金額や流行に捉われず一生の伴侶に出会うかの様な一品を見つけて下さい。
お使いください!!手織り絨毯
フロムギャッベ
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