近世のペルシャと日本の歴史的な交流として明治時代1880年に日本からカージャール朝ペルシャへの吉田波斯使節団が有ります。(ペルシャは漢字では波に斯かる(ぱし・はし)と表記します。)
その時の事が書かれた記録が外務省に有ります。1878年の榎本武揚駐ロシア公使とペルシャ国王及び総理とのロシアでの会見を受けて、両国間に通商協定を結ぶ事を模索した使節団で外務省御用掛の吉田正春を団長として参謀本部古川陸軍工兵大尉や大倉組横山副社長や商人などを従えて軍艦比叡に乗り込みペルシャ湾の港Bushehrよりイランに上陸後、東征してシラーズからイスファハンを経て首都テヘラン迄の陸路駱駝で1000km・2か月に及ぶ命からがらの北上の旅であった様です。異例の長時間の会見の後、ペルシャ国王ナーセロディ―ンシャーより渡された国書には両国はお互いにアジアの国として、その心情は一致すると述べられておりました。国王はお互いアジアで近代化を模索する中、日本の政治・徴兵・鉄道など様々な問題に強い関心を寄せたとの記述が有ります。又、ペルシャ絨毯についても使節団の古川陸軍工兵大尉の記述に『この国の毧氈(じゅうせん)は最も著名にしてその染色久しきに耐えその組織緻密にしてすこぶる雅致あり欧州人甚だ愛すこれえずど、ケルマン及びクルジスタン地方において製造する物なりこの他駱駝の毛を糊したる厚裀席あり人家必すこの物及び毧氈を併せ敷く』と有ります。
ペルシャ絨毯の特徴や産地、ヨーロッパで人気の貿易商材である事、イランでも必需品である事などの紹介が端的に表わされています。
1880年と言いますと、トルクメンの遊牧民カージャール族が建国したカージャール朝ペルシャ(1796年~1925年)の時代でペルシャ絨毯にとって宮廷絨毯時代と言う一番輝かしい時代であった16~17世紀サファビー朝ペルシャ(1501年~)が1722年のアフガン軍の侵攻や産業革命による機械織り絨毯の発達によるペルシャ絨毯の暗黒時代から1867年パリ万博と1873年ウィーン万国博覧会での宣伝活動を経て欧州中産階級のオリエンタルブームに乗って飛躍的に復興を成し遂げた時期ですね。
お使いください!!手織り絨毯
フロムギャッベ
*団長の吉田正春さんは幕末土佐の改革・近代化を進めた政治家であり教育者でもある吉田東洋さんのご子息です。
大倉組は明治期の商社ですが、貿易商社活動に加えて土木建設業・商業学校など多岐の活動を繰り広げた政界とも繋がった政商と言える大財閥になりますが、戦後の財閥解体により分割されました。