正倉院宝物 ろうけつ染め羊木(ひつじき)屏風

手織り絨毯

 

正倉院宝物-ペルシャの影響
奈良の正倉院宝物(756年に光明皇后が聖武天皇のご冥福を祈念して御遺愛の品などを東大寺に奉献したのが基礎となっています。)と言えば日本の古代美術文化の集大成ですが、その宝物に遣隋使(607年~)・遣唐使(630年~)の時代にシルクロードを通じてペルシャより渡来した文物やペルシャの影響を受けて日本で作られた物が多く含まれているのは有名です。
この事実より紀元後イランのゾロアスター教時代最大最後の帝国ササーン(サーサーン)朝ペルシャ(226年~651年)の国力・文化力が如何に大きかったのかが、伺われます。ササーン朝が滅びると正統カリフ時代を経て~ウマイヤ朝(661年~750年)~アッバース朝(750年~10世紀)と続きます。
宝物の中でも古代のろうけつ染めで作られている樹木の下に羊が佇むような図柄の屏風(この羊木臈纈<ろうけち>屏風象木臈纈<ろうけち>屏風と本来は対のもので有ったとの事です。)は当にペルシャ絨毯にあるデザインですが、ササーン朝ペルシャの聖樹禽獣紋を模していると言われています。絨毯屋風に題すると「生命の樹と羊の楽園』でしょうか?クムシルクイスファハンの高級絨毯にありそうなデザインですが生命の樹と羊はギャッベの定番のデザインでも有ります。
(飛鳥時代592年~710年・奈良時代710年~784年)

ペルシャ絨毯ギャッベ 60×87㎝

生命の樹 ナチュラル 195x240

 

 

 

 

 

 

仏教を中心とする日本の伝統文化の基礎が確立したこの時代迄に古代ペルシャの影響が我々が考えている以上に有ると思われます。
国立博物館などで正倉院宝物展が催されたら是非ご覧ください。
交通手段の発達していないこの時代に陸路を馬や徒歩で海路を帆船でやってくるのですからボタン一つで何でも出来る現代と違い大変な労力が必要になりますが、異文化・文物はいつの時代も面白がられて取り入れられて定着していく様です。

歴史推理ー松本清張
シルクロードを通じてペルシャ・中国・日本への文物の伝播は時折感じる事なのですが、昭和の推理小説の第一人者である松本清張さんが小説の中でその様な私見を登場させています。イランに行って古代ゾロアスター教時代の痕跡を残す各地を散策・研究されたようです。その道の第一人者はやはり凄いですね。熱が有ります。

 

 

 

 

火の路(上下2巻)ペルセポリスから飛鳥へという小説がそれです。
奈良県の明日香村に残る石造の遺物などをペルシャ・ゾロアスターの渡来が起源と捉える立場です。是非読んでみて下さい。

*歴史書「続日本紀」によると、736年遣唐使が連れ帰ったペルシャ人が聖武天皇と面会し、その後、位を授けられたということですが、同一人物ではないかと思われる「破斯清通」はし(波斯)・きよみちと書かれた木簡が平城宮跡から出土して居ります。これはペルシャ人が役人として働いていたことを示すとの事です。波斯(はし・ぱし)は当時中国(唐)でペルシャを指す語です。 

お使いください!!手織り絨毯
フロムギャッベ

*松本清張さんと言えば荻窪辺りに住んで居られたようで杉並区の洋菓子店のカフェで「松本清張の愛したカレー」と書かれたカレーを食べた事が有りますが、又、食べたくなってしまいました。今でも有るのでしょうか?
松本清張さんの様にイラン一周ゾロアスター教歴史探訪は残念ながらとても行けそうも有りませんが、カレーは食べに行ってみたいと思います。

 

 

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